SPのキャブフォワードAC11のレストア (1) – キャブフォワード –

この記事は、Mark Schuzter氏Espee’s Cab Forwardsの1ページめのSouthern Pacific’s Cab Forwardsを訳したものです。訳にあたっては、Mark Schutzer氏の許可を得ており、元記事、写真については、特記ない限りMark Schutzer氏に著作権があります。誤訳、不適切な訳、その他気づいたことがあれば、遠慮なくご指摘ください。詳細は、こちらの目次をご覧になってください。

なお、元記事は2009年4月25日に作成されました。


サザン・パシフィックのキャブフォワード

これらのページは、2台のアカネのキャブフォワードのレストアの記録をたどるものである。

キャブフォワード

セントラルパシフィック鉄道、後のサザンパシフィック鉄道は、大陸横断路線が開通した後、シエラの山岳地帯を超えて貨物を輸送したいという強い願望を持ち、次々と大きな機関車を作っていった。しかし、山岳地域の最小半径の小さなカーブによって、機関車のホィールベースが制限された結果、従来型の機関車では、大きさに制約が課せられた。サザンパシフィック鉄道が考えた解決方法は、フランス人のエンジニアのマレー(M. Anatole Mallet)氏による設計を基にした、新しい連接形の機関車の導入であった。サザンパシフィックは、マレー式の機関車を用いることで、シエラの山々を超して貨物輸送ができるということを認識した。

しかし、ほどなくして、サザンパシフィック鉄道は、これらの新しい機関車では、別の問題を解決する必要がある、ということがわかった。シエラの路線は高地にあり、冬の間線路を開通させておくために、何マイルにもわたって木製の雪よけが設置されていた。初めてマレー型機関車をこの雪よけの中を走らせたとき、乗務員が機関車の煙で窒息しかかったのである。煙は、雪よけで跳ね返され、キャブに直接侵入してきた。後に、乗務員が呼吸をしやすいように呼吸装置がキャブに備えられたものの、排気の強い熱を和らげるには役にたたなかった。

従来型のマレー式機関車の1台を、テンダーを先頭にして(機関車を後ろ向きにして)、雪よけの中を運転する、という実験が行われた。煙突が乗務員の後方を走行する形になるので、乗務員は排気に関する問題から解放された。これらの実験の結果、キャブフォワードの考え方が誕生した。初期のキャブフォワードは、逆向きに走るように改造されたマレー式機関車であった。機関車の煙室側の後ろにテンダーを連結できるように、(燃料の)油と水の配管が機関車の長さの分だけ延長された。これらの機関車はたいへんうまくいったので、一連の異なるキャブフォワードのシリーズのデザインにつながっていった。

AC-8シリーズまでで、キャブフォワードの設計は頂点に達し、その後のAC-10からAC-12にいたる発注は、AC-8の設計にほぼ一致している。[訳注:AC-9は、シエラでは使われなかったので、通常の形状の(キャブフォワードではない)連接機関車です]。AC-10からAC-12は、4205から4294の90台の機関車からなり、すべて1942年から1944年までに製造された。これらの大型のキャブフォワードは、蒸気機関車の黄昏の時代に作られ、4294はサザンパシフィックに納入された最後の新製蒸気であった。[訳注: 4294は、カリフォルニア州鉄道博物館に静態保存されています]

これは、Dick Kuelbs氏によって1956年に撮影されたAC-11、4271号機である。


 

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