月別アーカイブ: 2010年7月

Illinois Railway Museumを訪問 (3)

ガイド付きツアーが始まり、最初の建物に入る前に、一台の機関車が目に入ってきました。シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道(CB&Q)の、ハドソン(4-6-4)である、クラスS-4、3007号機です。これは、1930年に、ボールドウィンで12両が製造された中の一両です。 CB&Qといえば、O-5という有名な4-8-4があり、模型や写真で見る限り、S-4は迫力に欠けるかなぁと思っていたのですが、こうやって実物を見ると、圧倒的な存在感がありました。以下、何枚か紹介したいと思います。
まずは前面を一枚。マースライトの形状や位置など、O-5に準じており、CB&Qの機関車だということが簡単に認識できます。


機関士側(Engineer’s side)の全景です。



同じ角度で、機関車だけ撮ってみました。




動輪まわりを撮ってみました。機関車の高さと動輪の大きさの対比から、小さめの動輪と錯覚しそうですが、直径は78インチ(1981.2ミリ)です。機関車の高さが半端ではない、ということでしょう。


反対側から動輪まわりを撮ってみました。



火室のまわりです。

後ろから全景を撮ってみました。CB&Qのテンダーのロゴとレタリングはよく目立ちますね。

Illinois Railway Museumを訪問 (2)

Illinois Railway Museumに入ると、まずは屋外の展示ヤードに置かれた機関車が出迎えてくれました。


これは、イリノイ・セントラル鉄道が所有していた201号機です。Wikipediaの記述によると、この機関車は、1880年にロジャースが製造した2-4-4Tで、1949年に開かれたシカゴ鉄道博で展示されたとあります。

こちらは、AT&SFの543号機で、フェアバンクス・モースH-12-44TSです。上記のWikipediaの記述によれば、3両のみが製造され、シカゴのDearborn Stationで入れ替えに使われていた、とのことです。特に旅客列車の入れ替えを担当してたため、Steam Generatorを装備していたとのことです。

Dearborn stationは、AT&SFの看板列車(Chiefなど)の終着/始発)駅だったとのことですから、これらの列車もこの機関車に牽引されてて入れ替え作業をしていたのでしょうか。


似た様な角度からですが、もう一枚。


このエリアの(そして、この博物館の)目玉は、このUPのタービンに間違いないでしょう。

静態保存ですが、塗装も綺麗で、よい状態に保存されています。

Aユニットを横から見てみたところです。


Bユニットと補助テンダーとを撮ってみました。

ずいぶんと大掛かりな機関車だった、ということを改めて認識しました。UPの馬力への情熱が感じられるように思うのは私だけでしょうか。

今回ご紹介した機関車は、下の地図で、Display Yard 5と記されている場所です。見て頂ければわかるとおり、このヤードはそこそこの長さがあり、今回紹介した3台はその端に見えるものです。他にも色々な機関車が置かれていますが、すべては撮りきれませんでした。

Illinois Railway Museumを訪問 (1)

O Scale Meetが始まる前日、Illinois Railway Museumに行ってきました。こちらもすでにdda40xさんが11回に分けて詳しく書かれていますので、まずはそちらをご覧ください。

Illinois Railway Museum 1234567891011

Google Mapsでは、以下の場所となります。住所を打ち込み、カーナビの指示のままに進んでいったのですが、フリーウェイを降りた後、まわりに何もない田舎の道を進み、こんな場所にとても博物館があるよには思えない、と少し心配になりつつ、助手席に座っていました。結局、博物館が見えてくるのは、最後の角を曲がるあたりになってからでした。


大きな地図で見る

上記の地図を拡大すると、いろいろな車両が置かれているのがわかります。この博物館を鳥瞰した写真がパンフレットに載せられていましたので、スキャンしてみました。

こちらが、博物館の平面図です。

よくぞこれだけのものを集めたな、というくらい、様々なものがコレクションされています。今も収蔵品は増えているようで、色々なものを集めているうちに、「どうせならここに寄付しよう」という人が寄付をし、さらに収蔵品が充実してゆく、という良い循環を生んでいる様に感じました。

私のBlogでも何回か紹介し、ワークスKさんのBlogにも詳しく紹介されているカリフォルニア鉄道博物館に比べると、このIllinois Railway Museumは、コレクションの数、質という観点で、はるかに凌駕していると感じました。アメリカ型がお好きの方には、是非お勧めの場所です。

幸運なことに、O Scale Meet参加者向けの特別ツアー付で、足が棒になるくらい動き回り、十分に堪能しました。何回かに分けて、ご紹介したいと思います。

Rochelleへ (4)

Google Mapsを見ながらRochell Railroad Parkに行く算段を練っている最中に、近くにインターモーダルの基地があるのをみつけました。更によく調べると、地元の人が農場にアクセスするためのものなのか、線路のそばまで伸びている道があります。ここの終端までゆけば、この基地を線路際でよく見ることが出来るはずだと思い、助手席でナビゲーションしていました。果たして、UPの巨大なインターモーダルの基地を間近に見ることができ、入れ替え作業やら、本線の列車の通過を堪能することができました。

ということで、その写真を何枚かご紹介します。前回の記事で撮影したビデオでデジカメが一杯になってしまったので、急遽思いついて、携帯電話のカメラで撮りました。期待していなかったのですが、思ったよりはまともに撮れているかな、というところです。
まずは全景からご紹介しましょう。これは、東側を写した写真です。


少し西に寄ってみました。
真正面を向いて撮ってみました。一番手前の線路は、本線となります。
少し西を向いてみました。
西向きを撮影してみました。信号に隠れているのもありますが、西側の終端は、確認できないくらいに遠くに見えます。

改めてGoogle Mapsで調べると、このインターモーダルの基地、直線距離で1.5マイル(2.4km)くらいあります。
機関車が何台も連なって回送?されているのを目撃しました。

7~8台は連なっていたでしょうか。
本線上に、東行きのインターモーダルがやって来ました。
機関車のアップです。さすがにこれくらい近づくと、携帯のカメラではひずみが目立ちますね。まぁ、これくらいの迫力で楽しめた、ということでご紹介します。
こちらは西行きのインターモーダルです。こちらもやや歪んでいますが、ご容赦の程を。

[2010/7/13追記] このインターモーダルの基地の位置ですが、google mapsでは以下の場所となります。Aの風船の位置が、Rochell Railroad Parkです。


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Rochelleへ (3)

Rochelle Railroad Parkを後にし、複線の交差を真横を見ることの出来る場所に移動してみました。3枚ほど写真を紹介します。
お立ち台は、この写真の左側になります。右上から伸びている路線がUP、右に切れているのがBNSFです。
お立ち台からは実感できなかったのですが、横に行くと、この交差は巨大であることがわかりました。可能な限り線路に近寄って写してみましたが、普通の画角のコンパクトデジカメでは、交差の全景を写すことは困難でした。
もう一枚。

しばらくすると、UPのホッパーを120両以上つないだ列車が通過してゆきました。生憎、あとすこしのところでデジカメのメモリがいっぱいになり、尻切れトンボになっているのですが、ご紹介します。

轟音をたてながら、進む列車は、迫力満点でした。上の写真には写っていませんが、線路の近くに行くと、ブレーキシューの切れ端やら、ボルトやら、いろいろなものが散らばっています。持ち上げてみると、それなりの重さがあり、それを列車が落としてゆくのですから、エネルギー量として想像以上になりますので、Train Watchingされる方はお気をつけください。

Rochelleへ (2)

Rochelle Railroad Parkには、前回紹介したお立ち台だけではなく、いくつか車両も保存/展示されています。

まずは、Milwaukee Roadのカブースです。これは厳密には、公園の中ではないようですが、公園のすぐそばの踏切の近くに置かれています。

この他、2台のWhitcombの機関車が保存されています。このBlogの読んでいらっしゃる方はよくご存知の通り、私はディーゼル(ここでは、正確には内燃機関による)機関車に関する知識は殆どゼロに近いのですが、ご興味をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんので、上記のRailroad Parkの展示物の解説のセクションを訳してみたいと思います。これを読んでわかったのですが、Rochelleは、Whitcomの工場があった街だったのですね。一つ勉強になりました。
まず、こちらは、7トンのWhitcombです。

The 7 ton Whitcomb locomotive cost $3,100 in 1928 when it was purchased by Connor Brothers, Brooklyn, NY. At the timeWhitcomb workers received $25 per week for a 5 1/2 day week. Over 500 of this size were built armor plated for switch work during World War I. The locomotive was restored and donated to a museum in St. Mary’s PA, where they were going to re-gage it to “two foot” gage and run the locomotive at their railroad park. They decided to sell it to Rochelle and let it return to its hometown.

この7トンのWhitcombは、1928年に、ニューヨークのブルックリンのConnor Brothersが、1928年に3100ドルで購入した。この当時、Whitcombの労働者は、一週間に5日半あたりの労働に対して、25ドル支払われていた。このサイズの機関車は、装甲を施した上で、第一次大戦中、入れ替え作業向けに500台以上が作られた。この機関車は、レストアされ、ペンシルバニア州のSt. Maryの博物館に寄付され、そこの公園で走らせるために、2フィートゲージに改軌された。この博物館の人達は、この機関車を売却し、生まれ故郷のRochelleに戻すことにしたのである。
もう一台、50トンのWhitcombが置かれています。

In addition to the 7 ton locomotive, a 50 ton locomotive, also produced in Rochelle, was donated to the park and installed in the spring of 2005. Whitcomb locomotives were produced for over 40 years in Rochelle at what is today a pre-stressed concrete plant on east 5th Ave. Over 5,312 locomotives were built and shipped all over the world. In 1906 Whitcomb produced the first successful gasoline locomotive in the world and they were shipped to southern Illinois coal mines where they operated for two years before switching to electric engines. The firm later produced 2,054 diesel locomotives ending production in Rochelle in 1946. The firm also manufactured the Partin-Palmer automobile from 1915 to 1919 in Rochelle. The City has acquired a 1915 model that is on display in the City and Town Hall museum.

7トンのWhitcombに加え、50トンの機関車が公園に寄付され、2005年の春に設置された。この機関車もRochelleで生産されたものである。今日、RochelleのEast 5th Avenueのプレストレスト・コンクリート工場となっている場所で、Whitcombの機関車は40年以上にわたって製造され、世界中に出荷された。1906年に、Whitcombは、世界で最初に成功したガソリン機関車を製造した。これらはイリノイの南の炭鉱に出荷され、電気機関車にとって代わられるまでの2年間、使用された。その後Whitcomb社は、1964年にRochelleでの製造を終了するまでに、2054台のディーゼル機関車を生産した。Whitcomb社は、また、1915年から1919年に、Partin-Palmerブランドの(?)自動車を、Rochelleで生産した。Rochelle市は、この自動車の1915年モデルを購入し、City and Town Hall Museumに展示している。(注:このCity and Town Hall Museumというのは、こちらと思われます。

どちらの機関車も、屋外に保存/展示されているのですが、塗装も綺麗で、状態は良いようでした。この他、この公園には、事務所があり、おみやげとか、書籍とか、売っているようなのですが、あいにくと我々が行った時間には開いていませんでした。

Rochelleへ (1)

米国に住んでいる時、知人に、「シカゴの近くに行くことがあれば、Rochelleに行け」と言われていました。聞いたことのない名前の町でしたので、よく聞いてみると、「UPとBNSFとが、複線で平面で交差する交通の要所で、ひっきりなしに列車が通る」とのことで、ずっと気になる場所でした。今回、Chicago O-Scale Meetに参加することとなり、シカゴの中心部から2時間あれば十分に到着する距離だということがわかり、行ってみることとしました。

まず、Rochelleという町の位置ですが、Google Mapsでは、以下となります。地図を見て想像していましたが、実際に行ってみると、ただの田舎町と言っても差し支えない場所でした。このような鉄道の要所でもなければ、一生行くことのない町だと思われます。

[2010/7/2追記:Rochelleへ (2)の記事を書いていてわかったのですが、Rochelleは、Whitcomb社の工場があった町でした。場所ですが、下記の地図で、公園のバルーンマークのだいたい東北東の方向、「ミッドウェストパーク」の左下あたりと思われます。]


大きな地図で見る

上記の地図で示した場所には、Rochelle Railroad Parkという公園があり、この平面交差を正面に見ることのできる「お立ち台」が設けられています。念の入ったことに、このお立ち台では、列車無線の実況も流されていました。


これが、お立ち台の一番先に行って、撮影した平面交差です。左上から右下に向かうのが、UPで、右上から左下に向かうのが、BNSFです。


お立ち台には、このような「注意事項」が書かれています。

面白いのは、「Adults who venture beyond the park boundaries to photograph or observe trains do so at your own risk」とあることです。つまりは、公園の敷地外に出て写真を撮ったり、列車を見たりするのは、自分の責任において行っても良い、とあることです。このあたりは、アメリカらしいと思いました。日本だと「公園の敷地から出ないように」と書くのが普通でしょうね。

ただ、At your own riskと書いてある以上、何かあった時は、すべて個人が責任を負う、というのがアメリカのルールです。また、子供は、大人同伴でも絶対に敷地から出ないように、とありますので、念のため書いておきます。

我々の行った日は、曜日/時間が悪かったのか、期待していた頻度では列車は来ませんでしたが、しばらく待っているとUPのインターモーダルが通過してゆきました。次のビデオは、この列車をお立ち台から撮影したものです。かなりの両数でしたが、このあたりは平地のためか、例えばCajon Passに比べると、牽引している機関車の数が少ないので、その点では少々迫力に欠けるかもしれません。

更にもう少し待っていると、このような保守の車両がBNSF側の線路を走り抜けてゆきました。どうもこの先で線路の保守作業を行っていたようです。BNSF側の線路で何も列車を見なかったのは、このためでしょう。

この保守車両が丁度平面交差を超えるところの写真を撮ってみました。

Chi Town Union Stationを訪問 (3)

Chi Town Union Stationの紹介の最終回です。


前回は、レイアウトに入って右手に進んで行った、ストラクチャーやシーナリーが整っている側を紹介しましたが、今回はその反対側の写真を紹介します。

左上に写っている明るい所が、入り口となります。御覧の通り、こちら側は線路を敷設したのみの状態です。


カーブのところを撮影してみました。通路を挟んで、木の構造物が見えるでしょうか。こちら側にも線路を延ばしてゆく予定とのことです。


最初の写真とほぼ同じ角度と位置関係でもう一枚撮ってみました。


反対側を向いて撮影してみました。旅客列車が何本も並んでいます。

記憶が定かではないですが、こちら側はシカゴの駅をモチーフにしていたと聞いたように思います。背景画がシカゴの街の風景となっています。


巨大なターンテーブルが用意されています。本格的な稼働はこれからのようです。


ノーフォーク・アンド・ウェスタン(N&J)のJが牽くPowhatan Arrowが出会うという設定でしょう。私はやはり4-8-4の存在が気になる訳でして。