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Precision Scale CompanyのNP A-4/A-5

内野さんのNP A-2の話が出たので、Northern Pacificネタです。しばらくの間あちらこちらのサイトを覗くのをサボっていたので、気が付かなかったのですが、Precision Scale Companyのウェブサイトに、Northern PacificのA-4/A-5のパイロットモデルの写真が掲載されているのを見てビックリ。製品の計画があることはおぼろげながら記憶していましたが、正直なところ、ここまで進んでいるとはまったく予想外でした。全くの私見ではありますが、Precision Scaleの製品は、Challenger Imports(休業してしまいましたが)やW&Rに比べ、微妙にあたりはずれがあるような印象があるので、それほど注目してなかった、ということもあったので。

4-8-4の軸配置の機関車をNorthernと呼ぶのは、この軸配置の機関車を最初に導入したのがNorthern Pacificであったことに由来しています。A-4/A-5はNorthern Pacificの4-8-4の最終発展形であり、カウキャッチャーが違うほか、細かい違いがありますが、基本設計は同じです。A-5は第二次世界大戦の輸送力増強のために製造され、利用できる素材に制約があったため、Santa Feの2900クラスについで、2番目に重い4-8-4になってしまったと記憶しています。

模型で言えば、1965年にFujiyamaがPFM向けに輸出したA-5が思い浮かびます。Fujiyamaはこの後A-5を2回輸出していますが、1965年製のものは、特に素晴らしい出来で、日本が輸出したBrassの模型の最高峰の一つに数えられるものだと思います。

W&RもA-5(A-4も?)を製品化していますが、自分の目で直接見た事はありません。以前eBayに出てきたのを写真で見たことがありますが、Starting Bidが$2500を越えていたという信じられない価格で、とても手を出そうとは思いませんでした。Fujiyamaのものに比べ、時代が新しい分、正確な模型だということはわかりましたが。

ちなみに、内野日出男さんが製作されたA-2は、このA-4/A-5の前身となった形式です。A-2があって、A-4があれば、当然A-3もあります。Spoken, Portland & Seattleは、A-3を元にオイル焚きに設計変更したClass E-1を導入し、そのトップナンバー(700)が動態保存されています。このほか、Northern Pacificには、A(最初の4-8-4)や、TIMKEN社がローラーベアリングの効用を示すために作った機関車を買い取ったA-1といった4-8-4が在籍しました。これらの、実物の話や模型の話は、そのうち私なりにまとめみようかとは思っています。すでに諸先輩方がいろいろまとめられているので、浅学の私がまとめるのは恐れ多いという気もするのですが。

本題に戻って、パイロットモデルの写真は、大きさが小さいため、細かいところがわかりませんが、直線が出たランボードが水平に組みつけられているのを見る限り、期待してよさそうです。近年の豊富な資料を使ってA-4/A-5の違いも正しく作られている事を期待します。うーん、しばらくおとなしくしていた浮気の虫が騒ぎ出しそうです。その前に先立つものが。。。

内野日出男さんの訃報に接して

dda40xさんのBlogを覗いていたら、内野日出男さんの訃報があり、とても残念な気持ちです。

内野さんのTMSの1977年5月号、6月号のNorthern Pacific A-2の記事を見た時の衝撃は今でも忘れられません。

5月号記事の書き出しを引用すると

もともとアメリカ型も好きでしたので、アメリカ型の大型機が欲しくなりました。
それは国鉄型にはない車輪配列と言う事もありますが、その勇壮さにほれて、以前から作りたいと思っていたノーザン(4-8-4)タイプです。


とあり、6月号の結びには

私がアメリカ型にひかれる点は、大きくて迫力満点なのもさることながら、マーカーライトやカウキャッチャー、ベルなどの好ましいアクセサリーが付いている上に、形態のバラエティーも豊富な事です。ひかれる車両もカラフルな客貨車やカブースがあって楽しいと思います。

とあります。

まさにそのとおりで最初に見たときは「こんなカッコいい機関車があるんだぁ」と興奮したのを今でもよく覚えています。

私が本格的に米国型にのめりこむのはこのずいぶん後なのですが、自分の興味の対象を4-8-4中心としているのは、この内野さんの記事が大きく影響していることはまちがいありません。

私にとっては雲の上の存在の人であり、こんな言い方をするのは失礼かもしれませんが、私を米国型に目を向けさせることになった恩人だと思っています。

心よりご冥福をお祈りいたします。

※写真は、TMSの1977年5月号(表紙)と6月号(見開き)です。

車検に関する補足 (その2)

前回の記事で、車両の状態を良好に保つちょっとした工夫をしていると書きましたので、これについて説明します。それは、車検後の車両の管理です。

貨車、客車については、車検後はレイアウトに置いたままにしておくことが求められます。勝手に持ち出されると、運転会での列車編成に支障をきたすということもありますが、一度車検を通した車両が外の環境に触れて汚れを持ち込むことを防ぐ、という意味合いが込められています。

どんな事情にせよ、レイアウトの外に持ち出した場合、自動的に車検が失効します。再度レイアウトに持ち込む場合は、改めて車検を受ける必要があります。この点は厳しく運用されています。

機関車についても、車検後もレイアウトに置いたままにしておくことが推奨されており、かなりの数の機関車がレイアウト上に置かれています。そうはいっても、高価な機関車を置いたままにしておくことに抵抗感を感じる人も多く、外に持ち出すことが許容されています。

このことは、状態の悪い機関車が入線する可能性を残しますが、メンバーは運転会のスムーズな進行へのプレッシャーを感じているので、「自分の機関車はまともに整備しておこう」という意識が、この危険性を最低限に抑えていると思っています。

以前にも書いたとおり、運転会では相当数の列車を捌くので、自分の受け持った列車の運行にトラブルがあれば、後続の他の列車運行に迷惑をかけることになります。一度でも自分の責任で全体の運行を妨げるという経験をすると、自分の機関車は最低限まともに走る状態にしておこうという意識が芽生えてきます。また、調子の悪い機関車があると、運転会の後で、これはどうしたら改善できるか、みたいな話を皆で議論することもあります。

運転会は1つの鉄道会社の運行を模しています。少し大げさに言えば、皆、割り当てられた列車の運行に問題があると、会社の経営に支障をきたす、くらいの意識でいます。この意識が、スムーズかつトラブルのない運転を実現する原動力の一つであると感じています。

車検に関する補足 (その1)

dda40xさんから、ご自身のレイアウトでの車検項目をご紹介いただきました。一部引用させていただくと、我々のクラブの車検項目に加え、
「車輪踏面に塗料がついていないこと、油がついていないこと。ギヤボックスを装着していること(要するに油を撒き散らしてないこと)」
を条件として加えられているとのこと。大変興味深く読ませていただきました。

我々のところでも、あまり状態のひどいものについては、車検を通していないと思います。このあたりは、車検担当のT.H.の裁量にゆだねられています。

それよりは、原始的ではありますが、線路の状態を良好に保つために、運転会の前に徹底的に線路のクリーニングを行うことを基本としています。車両の管理についてもちょっとした工夫があるのですが、これは別途書きます。

運転会は毎月最終金曜日の20:00ごろから始まりますが、その前に集まったメンバー総出で30分から1時間くらいかけて線路を磨きます。本線については、5~6台のクリーニング専用車を何往復もさせます。同時に、電気系統などが運転に差し支えのない状態にあることも確認しています。

側線や支線については、集まったメンバー全員で砥石を使って手作業で丁寧に磨きます。地道な作業ですが、別記事に書くとおり、皆運転の品質をキープするのに一生懸命ですので、まじめに取り組んでいます。雰囲気的には、「おいしいおやつの前に、お片づけしなさいね、と言われた悪ガキ連中」みたいなもんです。

クリーニングが終了すると、掃除機でごみを吸い取り、ようやく運転会の開始です。

ちなみに、メンバーになる前にお試し期間があり、メンバーに加える価値があるかどうかを判断されると書きましたが、こういう作業に積極的に参加するかどうか、についても1つの材料にされています。

これ以外に、運転会の列車の一部に、必ずクリーニングカーを連結してはどうか、というアイディアが検討されていますが、今のところ結論は出ていないようです。

あけましておめでとうございます&日本に帰ってきました

気がつくと半年以上ほったらかしてしまい、申し訳ありません。実は2006年の6月に日本に帰ってきました。あまりに急な話だったこと、新しい仕事の環境に慣れるのに大変だったこと、北米でのなんでもかんでも車で移動する怠惰な生活のおかげで、今はやりの(?)メタボリックシンドロームすれすれの状態になり、しばらく節制生活をしなければならなかったこと、等等で、時間的にも精神的にもBlogをやっているような余裕がありませんでした。

それもありますが、クラブを退会しなければならなくなり、仲良くなった友人と別れなくてはならなくなったこと、米国流のModel Railroadingを楽しめなくなったというので、Blogを続ける意欲が失せてしまったというのが本当のところです。

一時期はこのままやめようかとさえ思っていましたが、せっかくなので、自分のために記録を残しておこうという気になってきました。ひょっとして私のつたない記録であっても、他の人にとっては有益な情報となるかもしれません。クラブも退会したとはいえ、恐れ多くも名誉会員(Emeritus Member) にしていただき、メーリングリストにも残してもらっていますので、少しは現地の情報も入ってくるかと思います。そのような情報も交えられれば、Blogの意味も少しはあるかと考えています。

ただ、繰り返しになりますが、自分の経験を自分のために書き残しておくというスタンスで進めますので、わかりにくい記述が多いかもしれません。その際は遠慮なくコメントなりトラックバックいただければ幸いです。

それでは、2007年が皆様にとってすばらしい1年でありますように。