月別アーカイブ: 2010年4月

Chicago Museum of Science and Industry訪問 (4)

このシリーズの最初の記事に書いた通り、Chicago Museum of Science and Industryは、広く科学と産業に関する各種の展示を行っています。その中の一つが、約30分の炭鉱(Coal Mine)紹介ツアーです。ヘルメットを渡され、「にわか炭鉱夫」になった気分で大型のエレベータで降りたところで、排水の話、照明の話、有毒ガスの話から始まり、炭鉱に使う機械、輸送に使うトロッコ、コントロールルームなど、炭鉱の実際をいろいろな角度で紹介してくれます。

大変興味深い展示だったのですが、天邪鬼の私の目を引いたのは、その入口に展示されていた「石炭の実物」です。なにしろ以前こんな記事を書いたくらいですから、嬉々として写真を撮ってきました。残念ながら、すべてガラス越しで、非常に暗い場所もあり、実物の色や質感を完全には再現できていないと思うのですが、何も無いよりはマシでしょうから、ご紹介します。

説明のパネルの訳も載せておきますが、あいにく専門用語の正しい訳などの知識がありませんので、識者の方がいらっしゃったらぜひ間違いをご指摘ください。

Peat(泥炭):
泥炭は本当の意味での石炭ではなく、石炭になる最初の段階の物質である。泥炭は茶色をしており、もろく、軽く、吸水性がある。泥炭になる前の植物の一部を見ることができることもある。泥炭を燃やすには、まず乾燥させなければならず、大量のすすを含んだ煙を出す。

Lignite(褐炭):
Ligniteは、”brown coal”と呼ばれることが多い。Ligniteは大変柔らかいので、長距離を運ぶと、ぼろぼろになる。ほぼ半分が水分であり、燃やした際には、最高品質の石炭の半分くらいの熱しか出さない。米国の石炭の1/4は、ligniteである。

亜瀝青炭(Sub Bituminous Coal):
亜瀝青炭は、ligniteに比べてより多くのエネルギーを持ち、水分が半分しかない、soft coalの一種である。瀝青炭に比べると、熱量は少なく、また硫黄分も少ない。米国の石炭の1/4はこの亜瀝青炭である。

瀝青炭(Bituminous Coal):
瀝青炭は、soft coalである。亜瀝青炭の1/3程度の水分しか含んでいない。燃やしたときは、無煙炭と同じ程度の熱を発生する。米国の石炭の半分は瀝青炭である。

無煙炭(Anthracite):
無煙炭はhard coalである。ほとんど水分を含んでおらず、他の種類の石炭よりも高温で燃え、ほとんど煙を発生しない。残念ながら、地球上にはごく僅かな量の無煙炭しか存在しない。

Chicago Museum of Science and Industry訪問 (3)

Chicago Museum of Science and Industryを代表する展示物の一つが、NYCの4-4-0である999号です。その紹介はワークスKさんのBlogに記載されていますので、そちらをご覧になってください。ポイントとしては、999号機は、1893年に作られた当時最先端の4-4-0で、高速性能を追求するために86インチ(=2184mm)の大動輪を装備し、当時の速度最高記録である112.5mph(181km/h)を記録したとされています。

米国でこの86インチという径の動輪を採用した機関車は他には存在しません。この次に大きな動輪というのは、84インチ(=2134mm)となりますが、それは1935年のMilwaukee RoadのクラスA(4-4-2)、1937年のSanta Feの3460クラス(4-6-4)、1937-8年のChicago & North WesternのE-4クラス(4-6-4)、1938年のMilwaukee RoadのF-7クラス(4-6-4)まで待たねばなりません。999号機が作られてから40年以上後ですので、999号機が如何に思い切った径を採用したか、と言えると思います。

さて、正直に告白すると、この999号機、それほど期待していたわけではありません。その理由は2つあり、まず私の興味は1940年代を中心とした近代のSteamであること、もう一つが、ワークスKさんのBlogにも書いてある通り、保存されている999号機は86インチの動輪を小径のものに換装しているということです。

しかしながら、実物に対面してみると、まずその大きさ、特に高さに驚きました。4-4-0ということで、無意識に小型の機関車を想像していたのですが、よく考えてみれば、当時、メインラインを看板列車を牽引した最大級の機関車だったはずです。そして、レタリングや装飾が美しく施されたこの機関車は、なんともいえない「風格」とでも呼ぶべきものを備えていることが伝わってきました。気がつくとじっと見入ってしまい、dda40xさんにも「ずいぶんご執心だね」と冷やかされるほどでした。その理由を考えてみると、999号は、当時の鉄道経営者が最高のサービスを提供すべく企画した機関車で、それを作る側の技術者も、当時の最先端を惜しみなくつぎ込んだ機関車からなのでしょうか。そういった999号機に関わった人々の心意気が伝わってくるようではありました。

照明が暗く、カメラも旧式になりつつあり、何よりも自分の腕に問題があり、相変わらず自分でも掲載を躊躇する写真ばかりですが、何かの参考になればと思い、以下にご紹介します。いつか達人の方が訪問され、すばらしい写真をどこかにご紹介頂くことを期待します。

まずは機関車部を撮ってみました。

キャブの方向から撮ってみました。

テンダーです。美しいレタリングやストライピングが印象的でした。

真正面から撮ってみました。

テンダーの背面です(ブレてしまいました)。右手に階段が見えますが、ここからキャブに入ることができます。

キャブの中です。

上の階から、ボイラーの上を見ることができます。

 

Chicago Museum of Science and Industry訪問 (2)

Chicago Museum of Science and Industryに保存されているPioneer Zephyrでは、20分くらいの列車内のツアーが用意されています。その中の写真を何枚か。

こちらは、列車内に入った直後の場所です。写真の左に写っているのがこのツアーのガイドをされた方なのですが、Pioneer Zephyrが建造された1934年の出来事-例えば大リーグの優勝チーム名-を、これでもか、これでもかと暗誦されていたのが印象的でした。

さて、右に写っているのは、Zephという名前のロバ(burro)です。このZeph君、Rocky Mountain Newsというコロラドの新聞社から寄贈され、前回ご紹介した1934年5月26日にデンバードからシカゴまで、ノンストップで走行した時の正式な乗客だった、とWikipediaのPioneer Zephyrの説明にあります。更にこの説明のなかには、このロバは別名”Rocky Mountain Canary”と呼ばれており、それを聞いたCB&Qの担当者が、カナリアと思って鳥かごを用意していたので、慌ててロバのスペースを用意して、干し草を積み込んだ、という逸話が書かれています。

客室、小さな売店のついた喫煙車を通り抜けると、最後尾のラウンジカーがあります。ここには、写真のような人形が3体置かれており、口、頭、腕を動かしながら、説明のアナウンスが流れ、スクリーンとなっている窓に、田園風景やら、シカゴでの花火が映る、という凝った趣向になっています。

名前を失念してしまいましたが、ここにある人形は、Zephyの関係者と、その家族という設定でした。当然、当時の上流階級に属する人たちです。ということで、説明のアナウンスの最初が「おや、このラウンジカーには相応しくない人たちが来ているようだね」と始まるのが笑わせてくれました。

これは、郵便車の中です。

次の2枚は、先頭の運転席です。思ったより窮屈そうだったのが、意外でした。

 

 

Chicago Museum of Science and Industry訪問 (1)

dda40xさんが、シカゴでのO-Scale Meetに参加されるということで、同行させていただきました。今回は堀江ご夫妻もご一緒で、大変楽しい、記憶に残る旅となりました。すでにdda40xさんのBlogで詳細な記事が掲載されていますが、私なりの視点で訪問した場所をご紹介したいと思います。

さて、シカゴ到着後、まず向かったのは、Chicago Museum of Science and Industry(以下CMSI)です。名前が示す通り、「科学と産業」に関する幅広い分野に関する展示を行っている博物館で、あちらこちらに実習室があったりして、子供向けの教育プログラムも充実しているのだと思われます。鉄道関係の展示ばかりではなく、ライト兄弟の飛行機のレプリカUボートなど、エポックメーキングな物が数多く展示されていて、シカゴに行った際には、訪問することをおすすめします。

まず、建物に入って最初に出迎えてくれるのは、Pioneer Zephyr号です。私が紹介するよりも詳しい方が数多くいらっしゃると思いますが、Wikipediaの記述をかいつまんで要約すると、Pioneer Zephyrは、CB&Q(Chicago Burlington and Quincy)が1934年に導入した、旅客用ディーゼル列車です。その性能を実証するために、1934年5月26日に、コロラド州デンバーから、シカゴまでの1015マイル(=1633km)を、ノンストップで13時間5分、つまり平均速度77mph(124km/h)で走破し、ある一区間では112.5mph(181km/h)を記録しました。1934年11月11日に定期運用に入り、1960年まで運行し、その後CMSIに寄贈されたものです。

1934年といえば、蒸気機関車もまだ発展途上にある時期で、1930年にTimken社が自社のベアリング製品をアピールするために、4-8-4であるFour Aces (その後NPが購入しA-1として運用)を建造してまもないころですので、ようやくローラーベアリングの効能が理解され始めた頃ではないかと想像します。1934年に建造された4-8-4としては、ノーザンパシフィックのA2があり(この後A3:1938年、A4:1941年、A5:1943年と続く)、その他有名どころの4-8-4で言えば、サザンパシフィックのデイライト牽引専用機として用意されたGS-2はこの後1936年まで(その後、GS3が1937年、GS4/5が1941年)、UPのFEF-1も1937年になるまで(その後、FEF2が1939年、FEF3が1944年)、待たなければなりませんので、この時点でディーゼル機関による高速列車を実現する、ということがとんでもなく先進的なチャレンジだった、ということが言えるかと思います。

技術的にも、必要な性能を満たすディーゼル機関の開発とか、ステンレスを用いた車体を作るためのShotweldingという溶接方式を製造に携わったバッド社が開発したりとか、歴史的意義のあるものが多く、アメリカ機会工学会(ASME: American Society of Mechanical Engineers)は、1980年に、”National Historic Mechanical Engineering Landmark”なる賞をPioneer Zephyrに授与しています。

この授賞を説明する文書がASMEのサイトに掲載されています。これを読むと、当時のCB&Qの社長であった、Ralph Budd氏(注:上記のバッド社とは無関係)は、当時の旅客実績の低下が、1929年の大恐慌の余波ではなく、そもそも人々の移動手段が車へシフトしているのが原因である、ということを見抜き、鉄道の復権を賭けて、新技術の適用、時代を感じさせるデザイン、圧倒的な性能、など、人々に訴えかける新しい列車の可能性を提案したのだ、ということを感じました。「Pioneer Zephyr」と呼ばれる、その名の通り、「新時代を切り拓いたパイオニア」と呼ぶにふさわしく、永く人々の記憶に列車であるということは間違いないでしょう。

少し長くなったので、続きは次回に。

UP844のValley Eagle Tour

すでにご存じの方も多いと思いますが、先日ご紹介したUPの2010年のSteam Pogramの第一弾のValley Eagle Tourが始まっています。UPのプレスリリースによれば、今回のツアーは、2010/4/2から2010/4/29の28日間、8つの州、3500マイルを走行する予定で、詳細なスケジュールは、こちらに記されています。これを書いている時点(米国時間2010/4/9夕方)では、テキサス州のフォートワースに到着しています。先日ご紹介したように、844の現在位置はこのページで確認することができるほか、走行中は、1時間に数回、UP844のTwitterで位置がレポートさています。このTwitterを見ているだけで、自分も844と一緒に動いているように錯覚してしまうのは、妙な感覚です。

今回のツアーの”Valley Eagle”という名前は、ミズーリ・パシフィックが、1948年から1962年まで、ヒューストンと今回のツアーの最終目的地であるテキサス州ブラウンズビルとの間を走らせていた列車に由来しているとのことです。これは牽引機の844がヒューストンの南を走るのは初めてだからだそうで、UPのホームページには、1948年8月のValley Eagleのパンフレットが掲載されています。

すでにいろいろな人がYoutubeにビデオを投稿していますが、今回のツアーではUP自身も数多くのビデオクリップをアップロードしています。いずれも数十秒の短いクリップですので、物足りない面もありますが、流石に品質が高く、また、普通の人は撮影できない、キャブの中から撮影したクリップも多くあり、一見の価値はあると思います。

例えば、Leaving Topeka after the service stopと題したこのビデオは、Topekaを出発する844のキャブの中の様子が捉えられています。1944年頃の844のキャブの中を撮影した貴重な映像もあります。また、「How do you clean the stack?」というビデオクリップがありますが、この中では「煙突を掃除する様子」が紹介されています。タイトルから思い浮かべるものとは全く異なる映像が出てきて、驚かされます。

Congratulations, National Model Railroad Association!というビデオクリップは、今回のツアーの編成の中の一両に貼られたステッカーについて解説しています。これは、NMRA(National Model Railroad Association)の75周年を祝ったもので、2010年の1年間、ずっと貼られているのだそうです。

さて、このステッカーを貼った車両には、Reed Jacksonという名前がつけられています。その由来がUPのこのページに紹介されているのですが、車掌として長年UPのエクスカージョンにはなくてはならなかったスタッフの一人で、その丁寧な仕事ぶりや性格から誰からも愛され、惜しくも2009年にお亡くなりになられたReed Jacksonさんに敬意を表したものとのことです。この名前に改名される前は、有名なUPの難所の一つである”シャーマン・ヒル(Sherman Hill)“を名乗っていて、その名所の名前を一個人の名前に変えたというのですから、如何にこの方が重要な存在だったか、ということを伺い知ることができます。

このステッカーの話とか、車両の名前の由来を知ると、米国の、鉄道会社や鉄道を愛する人たちの情熱や一体感を改めて強く感じます。

2010年4月20日追記: 上記でご紹介したビデオの、テキサス州フォートワース到着までのまとめたものがUPの公式Youtubeページに掲載されましたので、ご紹介します。

2010年5月1日追記: 4/29に無事にValley Eagle Tourが終わったとのことです。ビデオも続編が追加されました。

2010年5月15日追記: さらに続編が追加されました。