旅行の記録」カテゴリーアーカイブ

Illinois Railway Museumを訪問 (7)

Illinois Railway Museumのすばらしいところは、多くの機関車や車両が走らせられるようになっていること、そして積極的にレストアを進めていることです。

このような作業を行うためには、車両を本格的に整備するための各種の工具や工作機械が多数必要となりますが、この博物館は、それらを数、種類とも取り揃えています。めったに見られない工作機械を多く見ることができ、興味深く感じました。

これらの機械は、Display Barn 9に隣接している、Steam Locomotive Shopで見たものです。
これは、工作室の一つです。

別の工作室です。このような部屋が4つくらいあったでしょうか。

これは巨大な車輪の研削盤です。正確な数字を忘れましたが、直径70インチちょっとまで対応できる、と言っていた記憶があります。

この機械、なんと呼ぶのか、何のために使うのか、失念してしまいましたが、特殊な曲げ加工をする機械です。

この大きさの加工ができるものは、全米でここしかないので、他の場所から、使わせて欲しいとの打診がよくある、と言っていました。

上記の機械に使うための折り曲げ用のアダプタ(?)です。

レストア中のUPの2-8-0 (428号機)です。

上記のUP428用に新製されたキャブです。

UP428用の先台車と思われますが、このような台車も新製されていました。
下記に地図を再掲します。Steam Locomotive Shopは、Display Barn 9の左隣にあります。

 

Illinois Railway Museumを訪問 (6)

もう一台保存されている4-8-4が、このBlogでもたびたび紹介しているAT&SFのクラス2900である、2903号機です。
まずはフロントビュー。

第一~第二動輪から、前方を写してみました。

これは第四動輪です。動輪径は80インチ(2032mm)です。

これはサイドロッドです。タンデムロッドの様子がわかります。残念ながらメインロッドは取り外された状態にあります。

火室とキャブです。

その下、従台車を写しました。

軸箱にはしっかりと”Timken”と刻まれています。

テンダーです。長いので、ようやくこれくらいで写すのが精一杯です。

Buckeyeの4軸の台車です。3つに分けて写してみました。

昨年(2009年)、Modestoで2925号機を見たときの話はこちらとなります。この時は金網が邪魔だなぁ、と思い、今回は、隣の車両との間隔が狭く、なおかつ照明条件もよろしくない、ということで、納得できる写真をとるのは大変だなぁと思いました。

Illinois Railway Museumを訪問 (5)

Display Barn 9には、各種の大型蒸気が保存されています。

これは、ノーフォーク・アンド・ウェスタン鉄道の、Y-3、2050号機です。この博物館の中で、おそらく最大の蒸気機関車だと思います。通路が狭く、うまく全景を撮影することができなかったのですが、一枚。

ここの展示で嬉しかったのは、私の大好きな4-8-4が多く保存されていることです。

これは、グランド・トランク・ウェスタン鉄道のU-3b型です。

Detroit Model Railroad Club訪問記で、U-4bの模型の動画をご紹介しましたが、これはその前の世代の機種となります。

ミルウォーキーのS3、265号機です。まずはフロントマスク。


機関車の全景を撮ろうとしても、これが精一杯というところです。

下回りを2枚。

動輪径は、74インチ(1880mm)です。

テンダーのロゴです。小ぶりではありますが、下地を赤にしていて、よく目立ちます。こういうアクセントが効いているところが、アメリカ型の魅力の一つだと思います。
さて、この265号機、ワークスKさんの掲示板でも話題になった、パブリック・エネミーズに「出演」した261号機と同型機です。

上記の掲示板にも書いたとおり、この261号機は、売りに出され、カリフォルニアのコレクターが落札した、ということでしたが、その後、この261号機を運行していた”The Friends of 261″が買い取ったということが、こちらのニュースレターに記されています。

これからの資金調達などを考えると、決して前途は明るいとは言えないと思いますが、まずは一件落着、というところでしょうか。

Illinois Railway Museumを訪問 (4)

バーリントンのS-4を見た後、入っていったのは、”Display Barn 9: Large Steam and Electric Locomotives/Nebraska Zephyr”という建物です。ここには、蒸気を中心とした大型の機関車が各種展示されています。


まず目に入ってきたのは、これです。説明の必要がないと思いますが、レイモンド・ローウィのデザインで有名な、ペンシルバニア鉄道GG1です。かねてより好きな機関車でしたので、その実物を見ることができ、感激しました。


これは、バーリントンネブラスカ・ゼファー(Nebraska Zephyr)の牽引機であったE-5、9911-A号機です。


これは、ネブラスカ・ゼファーの最後尾です。ネブラスカ・ゼファーは、引退してそのままイリノイ鉄道博物館に寄贈された、とのことで、一編成がそっくり残っています。 ゼファーといえば、多くの人は、カリフォルニア・ゼファーを思い浮かべるのでしょうが、Chicago Museum of Science and Industry訪問でご紹介したパイオニア・ゼファーをルーツとした、今風に言うと、バーリントンのブランド戦略だったのだろうな、ということを感じました。

以下に、博物館の地図を再掲します。Display Barn 9は、左下、縦方向の建物です。

Illinois Railway Museumを訪問 (2)

Illinois Railway Museumに入ると、まずは屋外の展示ヤードに置かれた機関車が出迎えてくれました。


これは、イリノイ・セントラル鉄道が所有していた201号機です。Wikipediaの記述によると、この機関車は、1880年にロジャースが製造した2-4-4Tで、1949年に開かれたシカゴ鉄道博で展示されたとあります。

こちらは、AT&SFの543号機で、フェアバンクス・モースH-12-44TSです。上記のWikipediaの記述によれば、3両のみが製造され、シカゴのDearborn Stationで入れ替えに使われていた、とのことです。特に旅客列車の入れ替えを担当してたため、Steam Generatorを装備していたとのことです。

Dearborn stationは、AT&SFの看板列車(Chiefなど)の終着/始発)駅だったとのことですから、これらの列車もこの機関車に牽引されてて入れ替え作業をしていたのでしょうか。


似た様な角度からですが、もう一枚。


このエリアの(そして、この博物館の)目玉は、このUPのタービンに間違いないでしょう。

静態保存ですが、塗装も綺麗で、よい状態に保存されています。

Aユニットを横から見てみたところです。


Bユニットと補助テンダーとを撮ってみました。

ずいぶんと大掛かりな機関車だった、ということを改めて認識しました。UPの馬力への情熱が感じられるように思うのは私だけでしょうか。

今回ご紹介した機関車は、下の地図で、Display Yard 5と記されている場所です。見て頂ければわかるとおり、このヤードはそこそこの長さがあり、今回紹介した3台はその端に見えるものです。他にも色々な機関車が置かれていますが、すべては撮りきれませんでした。

Illinois Railway Museumを訪問 (1)

O Scale Meetが始まる前日、Illinois Railway Museumに行ってきました。こちらもすでにdda40xさんが11回に分けて詳しく書かれていますので、まずはそちらをご覧ください。

Illinois Railway Museum 1234567891011

Google Mapsでは、以下の場所となります。住所を打ち込み、カーナビの指示のままに進んでいったのですが、フリーウェイを降りた後、まわりに何もない田舎の道を進み、こんな場所にとても博物館があるよには思えない、と少し心配になりつつ、助手席に座っていました。結局、博物館が見えてくるのは、最後の角を曲がるあたりになってからでした。


大きな地図で見る

上記の地図を拡大すると、いろいろな車両が置かれているのがわかります。この博物館を鳥瞰した写真がパンフレットに載せられていましたので、スキャンしてみました。

こちらが、博物館の平面図です。

よくぞこれだけのものを集めたな、というくらい、様々なものがコレクションされています。今も収蔵品は増えているようで、色々なものを集めているうちに、「どうせならここに寄付しよう」という人が寄付をし、さらに収蔵品が充実してゆく、という良い循環を生んでいる様に感じました。

私のBlogでも何回か紹介し、ワークスKさんのBlogにも詳しく紹介されているカリフォルニア鉄道博物館に比べると、このIllinois Railway Museumは、コレクションの数、質という観点で、はるかに凌駕していると感じました。アメリカ型がお好きの方には、是非お勧めの場所です。

幸運なことに、O Scale Meet参加者向けの特別ツアー付で、足が棒になるくらい動き回り、十分に堪能しました。何回かに分けて、ご紹介したいと思います。

Rochelleへ (4)

Google Mapsを見ながらRochell Railroad Parkに行く算段を練っている最中に、近くにインターモーダルの基地があるのをみつけました。更によく調べると、地元の人が農場にアクセスするためのものなのか、線路のそばまで伸びている道があります。ここの終端までゆけば、この基地を線路際でよく見ることが出来るはずだと思い、助手席でナビゲーションしていました。果たして、UPの巨大なインターモーダルの基地を間近に見ることができ、入れ替え作業やら、本線の列車の通過を堪能することができました。

ということで、その写真を何枚かご紹介します。前回の記事で撮影したビデオでデジカメが一杯になってしまったので、急遽思いついて、携帯電話のカメラで撮りました。期待していなかったのですが、思ったよりはまともに撮れているかな、というところです。
まずは全景からご紹介しましょう。これは、東側を写した写真です。


少し西に寄ってみました。
真正面を向いて撮ってみました。一番手前の線路は、本線となります。
少し西を向いてみました。
西向きを撮影してみました。信号に隠れているのもありますが、西側の終端は、確認できないくらいに遠くに見えます。

改めてGoogle Mapsで調べると、このインターモーダルの基地、直線距離で1.5マイル(2.4km)くらいあります。
機関車が何台も連なって回送?されているのを目撃しました。

7~8台は連なっていたでしょうか。
本線上に、東行きのインターモーダルがやって来ました。
機関車のアップです。さすがにこれくらい近づくと、携帯のカメラではひずみが目立ちますね。まぁ、これくらいの迫力で楽しめた、ということでご紹介します。
こちらは西行きのインターモーダルです。こちらもやや歪んでいますが、ご容赦の程を。

[2010/7/13追記] このインターモーダルの基地の位置ですが、google mapsでは以下の場所となります。Aの風船の位置が、Rochell Railroad Parkです。


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Rochelleへ (3)

Rochelle Railroad Parkを後にし、複線の交差を真横を見ることの出来る場所に移動してみました。3枚ほど写真を紹介します。
お立ち台は、この写真の左側になります。右上から伸びている路線がUP、右に切れているのがBNSFです。
お立ち台からは実感できなかったのですが、横に行くと、この交差は巨大であることがわかりました。可能な限り線路に近寄って写してみましたが、普通の画角のコンパクトデジカメでは、交差の全景を写すことは困難でした。
もう一枚。

しばらくすると、UPのホッパーを120両以上つないだ列車が通過してゆきました。生憎、あとすこしのところでデジカメのメモリがいっぱいになり、尻切れトンボになっているのですが、ご紹介します。

轟音をたてながら、進む列車は、迫力満点でした。上の写真には写っていませんが、線路の近くに行くと、ブレーキシューの切れ端やら、ボルトやら、いろいろなものが散らばっています。持ち上げてみると、それなりの重さがあり、それを列車が落としてゆくのですから、エネルギー量として想像以上になりますので、Train Watchingされる方はお気をつけください。

Rochelleへ (2)

Rochelle Railroad Parkには、前回紹介したお立ち台だけではなく、いくつか車両も保存/展示されています。

まずは、Milwaukee Roadのカブースです。これは厳密には、公園の中ではないようですが、公園のすぐそばの踏切の近くに置かれています。

この他、2台のWhitcombの機関車が保存されています。このBlogの読んでいらっしゃる方はよくご存知の通り、私はディーゼル(ここでは、正確には内燃機関による)機関車に関する知識は殆どゼロに近いのですが、ご興味をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんので、上記のRailroad Parkの展示物の解説のセクションを訳してみたいと思います。これを読んでわかったのですが、Rochelleは、Whitcomの工場があった街だったのですね。一つ勉強になりました。
まず、こちらは、7トンのWhitcombです。

The 7 ton Whitcomb locomotive cost $3,100 in 1928 when it was purchased by Connor Brothers, Brooklyn, NY. At the timeWhitcomb workers received $25 per week for a 5 1/2 day week. Over 500 of this size were built armor plated for switch work during World War I. The locomotive was restored and donated to a museum in St. Mary’s PA, where they were going to re-gage it to “two foot” gage and run the locomotive at their railroad park. They decided to sell it to Rochelle and let it return to its hometown.

この7トンのWhitcombは、1928年に、ニューヨークのブルックリンのConnor Brothersが、1928年に3100ドルで購入した。この当時、Whitcombの労働者は、一週間に5日半あたりの労働に対して、25ドル支払われていた。このサイズの機関車は、装甲を施した上で、第一次大戦中、入れ替え作業向けに500台以上が作られた。この機関車は、レストアされ、ペンシルバニア州のSt. Maryの博物館に寄付され、そこの公園で走らせるために、2フィートゲージに改軌された。この博物館の人達は、この機関車を売却し、生まれ故郷のRochelleに戻すことにしたのである。
もう一台、50トンのWhitcombが置かれています。

In addition to the 7 ton locomotive, a 50 ton locomotive, also produced in Rochelle, was donated to the park and installed in the spring of 2005. Whitcomb locomotives were produced for over 40 years in Rochelle at what is today a pre-stressed concrete plant on east 5th Ave. Over 5,312 locomotives were built and shipped all over the world. In 1906 Whitcomb produced the first successful gasoline locomotive in the world and they were shipped to southern Illinois coal mines where they operated for two years before switching to electric engines. The firm later produced 2,054 diesel locomotives ending production in Rochelle in 1946. The firm also manufactured the Partin-Palmer automobile from 1915 to 1919 in Rochelle. The City has acquired a 1915 model that is on display in the City and Town Hall museum.

7トンのWhitcombに加え、50トンの機関車が公園に寄付され、2005年の春に設置された。この機関車もRochelleで生産されたものである。今日、RochelleのEast 5th Avenueのプレストレスト・コンクリート工場となっている場所で、Whitcombの機関車は40年以上にわたって製造され、世界中に出荷された。1906年に、Whitcombは、世界で最初に成功したガソリン機関車を製造した。これらはイリノイの南の炭鉱に出荷され、電気機関車にとって代わられるまでの2年間、使用された。その後Whitcomb社は、1964年にRochelleでの製造を終了するまでに、2054台のディーゼル機関車を生産した。Whitcomb社は、また、1915年から1919年に、Partin-Palmerブランドの(?)自動車を、Rochelleで生産した。Rochelle市は、この自動車の1915年モデルを購入し、City and Town Hall Museumに展示している。(注:このCity and Town Hall Museumというのは、こちらと思われます。

どちらの機関車も、屋外に保存/展示されているのですが、塗装も綺麗で、状態は良いようでした。この他、この公園には、事務所があり、おみやげとか、書籍とか、売っているようなのですが、あいにくと我々が行った時間には開いていませんでした。

Rochelleへ (1)

米国に住んでいる時、知人に、「シカゴの近くに行くことがあれば、Rochelleに行け」と言われていました。聞いたことのない名前の町でしたので、よく聞いてみると、「UPとBNSFとが、複線で平面で交差する交通の要所で、ひっきりなしに列車が通る」とのことで、ずっと気になる場所でした。今回、Chicago O-Scale Meetに参加することとなり、シカゴの中心部から2時間あれば十分に到着する距離だということがわかり、行ってみることとしました。

まず、Rochelleという町の位置ですが、Google Mapsでは、以下となります。地図を見て想像していましたが、実際に行ってみると、ただの田舎町と言っても差し支えない場所でした。このような鉄道の要所でもなければ、一生行くことのない町だと思われます。

[2010/7/2追記:Rochelleへ (2)の記事を書いていてわかったのですが、Rochelleは、Whitcomb社の工場があった町でした。場所ですが、下記の地図で、公園のバルーンマークのだいたい東北東の方向、「ミッドウェストパーク」の左下あたりと思われます。]


大きな地図で見る

上記の地図で示した場所には、Rochelle Railroad Parkという公園があり、この平面交差を正面に見ることのできる「お立ち台」が設けられています。念の入ったことに、このお立ち台では、列車無線の実況も流されていました。


これが、お立ち台の一番先に行って、撮影した平面交差です。左上から右下に向かうのが、UPで、右上から左下に向かうのが、BNSFです。


お立ち台には、このような「注意事項」が書かれています。

面白いのは、「Adults who venture beyond the park boundaries to photograph or observe trains do so at your own risk」とあることです。つまりは、公園の敷地外に出て写真を撮ったり、列車を見たりするのは、自分の責任において行っても良い、とあることです。このあたりは、アメリカらしいと思いました。日本だと「公園の敷地から出ないように」と書くのが普通でしょうね。

ただ、At your own riskと書いてある以上、何かあった時は、すべて個人が責任を負う、というのがアメリカのルールです。また、子供は、大人同伴でも絶対に敷地から出ないように、とありますので、念のため書いておきます。

我々の行った日は、曜日/時間が悪かったのか、期待していた頻度では列車は来ませんでしたが、しばらく待っているとUPのインターモーダルが通過してゆきました。次のビデオは、この列車をお立ち台から撮影したものです。かなりの両数でしたが、このあたりは平地のためか、例えばCajon Passに比べると、牽引している機関車の数が少ないので、その点では少々迫力に欠けるかもしれません。

更にもう少し待っていると、このような保守の車両がBNSF側の線路を走り抜けてゆきました。どうもこの先で線路の保守作業を行っていたようです。BNSF側の線路で何も列車を見なかったのは、このためでしょう。

この保守車両が丁度平面交差を超えるところの写真を撮ってみました。