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ヘンリー・フォード博物館(Henry Ford Museum)を訪問 (3)

前回ご紹介したC&OのH-8の迫力に圧倒され、もうこれで十分に堪能したと思って、あまり期待もせずに周りの展示物を見ているうちに、一台の機関車が目にとまりました。Bessemer and Lake Erie Railroadのコンソリデーション(2-8-0)である、154号機です。これ以上は載せられないのではないか、というくらいに太いボイラーが印象的でした。

この鉄道、名前は知っていましたが、実物を見るのは初めてです。上記Wikipediaの記述にあるとおり、鉄鉱石や石炭など、重量物を運んでいた鉄道ということで、高出力を追求した機関車なのでしょう。実物に関する資料が手持ちにはないのですが、steamlocomotive.comの記述によれば、1909年にBaldwinが製造し、蒸気の終焉まで活躍した、とあります。

それにしても、よく知られている機関車以外にも、魅力的な機関車が色々なところで活躍していたのだ、ということを感じました。

これ以上後ろに引けないので、こういう角度で撮るのが精一杯です。写真では、ボイラーの太さがもう一歩伝わってこないような気がしますが、車輪の高さとボイラーの高さとのバランスをよく見ていただけますでしょうか。

フロントを狙ってみました。

反対側です。照明条件が良くなく、暗い写真を処理してようやくここまで見えるようにしました。

キャブを写してみました。

ヘンリー・フォード博物館(Henry Ford Museum)を訪問 (2)

ヘンリー・フォード博物館の鉄道関係の収蔵品の「目玉」というべきは、C&OのH-8(Allegheny: 2-6-6-6)です。アメリカ型の蒸気に詳しい方には説明するまでもないのですが、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道(C&O)が1941年から1948年にかけて、ライマ社で60両を建造した、アメリカでも最大級の機関車です。(このほか、バージニアン(Virginian)鉄道が、ほぼ同型機を1945年に8両を発注)。

このAlleghenyについては、詳しく紹介すると長くなり、私も簡潔に紹介するだけの知識を持ち合わせていません。ライマ社のSuper Powerコンセプトの集大成と言ってもよい機関車であり、巨大な火室を支えるために、他に例を見ない6輪(3軸)の従台車を装備しているのが特徴である、ということだけにとどめ、詳しくは本や雑誌の紹介に譲りたいと思います。

この1601号機は、廃車後ヘンリーフォード博物館まで自走して、そのままこの状態で補完されたということなので、状態は非常に良好です。相変わらずの写真ですが、お楽しみ頂ければ、と思います。

まずは、真正面から見た画像です。

少し、斜め前に回ってみました。

前方の動輪です。

これが6輪従台車です。

キャブの中に入ってみました。機関士の席からみたスロットルです。この巨大かつ高性能の機関車を運転するというのは、どのような気分だったのでしょうか。

機関士の席から前方はこのように見えます。こんな巨大な機関車で視界がこれだけしかない中での運転は神経を使ったに違いありません。

テンダーのストーカーを撮ってみました。

キャブの入り口から出たところの台から機関車の前方を撮ってみました。やはり長い機関車です。床に小さな箱が置いてあるのがわかるでしょうか。この箱の中には、Fine Art Modelsが作成した1/32のAlleghenyの模型が置かれています。実物がどれくらい巨大か、ということを理解するヒントになるでしょうか。

後ろを振り向いてテンダーを撮ってみました。これも巨大ですね。

Alleghenyのテンダーの後ろ側は4軸のBuckeye台車となっていますので、これを撮ってみました。私のコンパクトカメラでは、全部が入りきりませんでした。

ヘンリー・フォード博物館(Henry Ford Museum)を訪問 (1)

Chicago Museum of Science and Industry訪問後、450キロほど東、デトロイトの近くのDearbornという街に移動しました。聞き慣れない名前かもしれませんが、ここはビッグスリーの一角のフォード社のお膝元で、その街中にヘンリー・フォード博物館があります。名前だけを聞くと、「フォード社の歴史」を記録する博物館という印象があり、実際そのような側面もありますが、この博物館は独立した財団法人として運営されています。私自身が見学して感じたのは、この博物館は「車を一つの軸として、広くアメリカの歴史を記録する」ことを目的としているということです。

「車でアメリカの歴史を語る」という観点で、最も象徴的なコレクションは歴代の大統領専用車でしょう。以下の写真は、1963年11月23日、ケネディ大統領がダラスで暗殺された時に乗車していた、まさにその車です。この展示の前に立った瞬間、見覚えのある、「その瞬間」のビデオ画像が今までにない現実感を伴って頭の中に蘇り、まるで自分がその瞬間に居合わせたような錯覚を覚えました。良い展示物は、歴史の雄弁な証言者になる、ということでしょうか。

この他印象に残ったのは、車にまつわる「小道具」とでも言うべきものです。アメリカでは、単調な道を延々と長時間ドライブすることが多々あり、見知らぬ途中の街で、給油をしたり、簡単な食事や宿泊をすることがつきものです。これらはドライブの一部と言ってもよいと思うのですが、この博物館には、旧式のガソリンの給油ポンプだとか、マクドナルドのネオンサインとか、モーテルの部屋を再現したもの、などがさりげなく置かれています。単に車を紹介するだけでなく、人々の暮らしを記録しようとしているのだと感じました。

一角には、古いホンダ・アコードが展示されていました。なぜ?と思ったのですが、「1982年に日本の自動車会社が米国で最初に現地生産した自動車である」、という解説を読み、納得しました。当時は日米自動車摩擦などと言われていた難しい時代だったはずですが、その中でもこの事実に歴史的意義を認めた人がいたから、収蔵されたということでしょう。

この博物館に行く前に、dda40xさんが「博物館としてあるべき姿を具現している」と言われていたのですが、なるほど、コレクションのポリシーがしっかりしていると感じました。この他、ここではとても紹介しきれませんが、農機具だとか、工業用のスチームエンジンとか、飛行機だとか、色々なものが所蔵されています。これらの収蔵品が良い状態で保存されているのも印象的でした。例えばスチームエンジンなどは「鋳物の芸術」とでも呼ぶようなものが多くあり、実際に稼働する状態にあるものもあります。

さて、前置きが長くなりました。数は限られていますが、鉄道関係で見逃せないものもあります。その話は次回に。

[2010年6月27日追記]
この博物館のマップを以下に掲載しました。クリックすると拡大します(大きなファイルなので、少し時間がかかると思います)。

Chicago Museum of Science and Industry訪問 (4)

このシリーズの最初の記事に書いた通り、Chicago Museum of Science and Industryは、広く科学と産業に関する各種の展示を行っています。その中の一つが、約30分の炭鉱(Coal Mine)紹介ツアーです。ヘルメットを渡され、「にわか炭鉱夫」になった気分で大型のエレベータで降りたところで、排水の話、照明の話、有毒ガスの話から始まり、炭鉱に使う機械、輸送に使うトロッコ、コントロールルームなど、炭鉱の実際をいろいろな角度で紹介してくれます。

大変興味深い展示だったのですが、天邪鬼の私の目を引いたのは、その入口に展示されていた「石炭の実物」です。なにしろ以前こんな記事を書いたくらいですから、嬉々として写真を撮ってきました。残念ながら、すべてガラス越しで、非常に暗い場所もあり、実物の色や質感を完全には再現できていないと思うのですが、何も無いよりはマシでしょうから、ご紹介します。

説明のパネルの訳も載せておきますが、あいにく専門用語の正しい訳などの知識がありませんので、識者の方がいらっしゃったらぜひ間違いをご指摘ください。

Peat(泥炭):
泥炭は本当の意味での石炭ではなく、石炭になる最初の段階の物質である。泥炭は茶色をしており、もろく、軽く、吸水性がある。泥炭になる前の植物の一部を見ることができることもある。泥炭を燃やすには、まず乾燥させなければならず、大量のすすを含んだ煙を出す。

Lignite(褐炭):
Ligniteは、”brown coal”と呼ばれることが多い。Ligniteは大変柔らかいので、長距離を運ぶと、ぼろぼろになる。ほぼ半分が水分であり、燃やした際には、最高品質の石炭の半分くらいの熱しか出さない。米国の石炭の1/4は、ligniteである。

亜瀝青炭(Sub Bituminous Coal):
亜瀝青炭は、ligniteに比べてより多くのエネルギーを持ち、水分が半分しかない、soft coalの一種である。瀝青炭に比べると、熱量は少なく、また硫黄分も少ない。米国の石炭の1/4はこの亜瀝青炭である。

瀝青炭(Bituminous Coal):
瀝青炭は、soft coalである。亜瀝青炭の1/3程度の水分しか含んでいない。燃やしたときは、無煙炭と同じ程度の熱を発生する。米国の石炭の半分は瀝青炭である。

無煙炭(Anthracite):
無煙炭はhard coalである。ほとんど水分を含んでおらず、他の種類の石炭よりも高温で燃え、ほとんど煙を発生しない。残念ながら、地球上にはごく僅かな量の無煙炭しか存在しない。

Chicago Museum of Science and Industry訪問 (3)

Chicago Museum of Science and Industryを代表する展示物の一つが、NYCの4-4-0である999号です。その紹介はワークスKさんのBlogに記載されていますので、そちらをご覧になってください。ポイントとしては、999号機は、1893年に作られた当時最先端の4-4-0で、高速性能を追求するために86インチ(=2184mm)の大動輪を装備し、当時の速度最高記録である112.5mph(181km/h)を記録したとされています。

米国でこの86インチという径の動輪を採用した機関車は他には存在しません。この次に大きな動輪というのは、84インチ(=2134mm)となりますが、それは1935年のMilwaukee RoadのクラスA(4-4-2)、1937年のSanta Feの3460クラス(4-6-4)、1937-8年のChicago & North WesternのE-4クラス(4-6-4)、1938年のMilwaukee RoadのF-7クラス(4-6-4)まで待たねばなりません。999号機が作られてから40年以上後ですので、999号機が如何に思い切った径を採用したか、と言えると思います。

さて、正直に告白すると、この999号機、それほど期待していたわけではありません。その理由は2つあり、まず私の興味は1940年代を中心とした近代のSteamであること、もう一つが、ワークスKさんのBlogにも書いてある通り、保存されている999号機は86インチの動輪を小径のものに換装しているということです。

しかしながら、実物に対面してみると、まずその大きさ、特に高さに驚きました。4-4-0ということで、無意識に小型の機関車を想像していたのですが、よく考えてみれば、当時、メインラインを看板列車を牽引した最大級の機関車だったはずです。そして、レタリングや装飾が美しく施されたこの機関車は、なんともいえない「風格」とでも呼ぶべきものを備えていることが伝わってきました。気がつくとじっと見入ってしまい、dda40xさんにも「ずいぶんご執心だね」と冷やかされるほどでした。その理由を考えてみると、999号は、当時の鉄道経営者が最高のサービスを提供すべく企画した機関車で、それを作る側の技術者も、当時の最先端を惜しみなくつぎ込んだ機関車からなのでしょうか。そういった999号機に関わった人々の心意気が伝わってくるようではありました。

照明が暗く、カメラも旧式になりつつあり、何よりも自分の腕に問題があり、相変わらず自分でも掲載を躊躇する写真ばかりですが、何かの参考になればと思い、以下にご紹介します。いつか達人の方が訪問され、すばらしい写真をどこかにご紹介頂くことを期待します。

まずは機関車部を撮ってみました。

キャブの方向から撮ってみました。

テンダーです。美しいレタリングやストライピングが印象的でした。

真正面から撮ってみました。

テンダーの背面です(ブレてしまいました)。右手に階段が見えますが、ここからキャブに入ることができます。

キャブの中です。

上の階から、ボイラーの上を見ることができます。

 

Chicago Museum of Science and Industry訪問 (2)

Chicago Museum of Science and Industryに保存されているPioneer Zephyrでは、20分くらいの列車内のツアーが用意されています。その中の写真を何枚か。

こちらは、列車内に入った直後の場所です。写真の左に写っているのがこのツアーのガイドをされた方なのですが、Pioneer Zephyrが建造された1934年の出来事-例えば大リーグの優勝チーム名-を、これでもか、これでもかと暗誦されていたのが印象的でした。

さて、右に写っているのは、Zephという名前のロバ(burro)です。このZeph君、Rocky Mountain Newsというコロラドの新聞社から寄贈され、前回ご紹介した1934年5月26日にデンバードからシカゴまで、ノンストップで走行した時の正式な乗客だった、とWikipediaのPioneer Zephyrの説明にあります。更にこの説明のなかには、このロバは別名”Rocky Mountain Canary”と呼ばれており、それを聞いたCB&Qの担当者が、カナリアと思って鳥かごを用意していたので、慌ててロバのスペースを用意して、干し草を積み込んだ、という逸話が書かれています。

客室、小さな売店のついた喫煙車を通り抜けると、最後尾のラウンジカーがあります。ここには、写真のような人形が3体置かれており、口、頭、腕を動かしながら、説明のアナウンスが流れ、スクリーンとなっている窓に、田園風景やら、シカゴでの花火が映る、という凝った趣向になっています。

名前を失念してしまいましたが、ここにある人形は、Zephyの関係者と、その家族という設定でした。当然、当時の上流階級に属する人たちです。ということで、説明のアナウンスの最初が「おや、このラウンジカーには相応しくない人たちが来ているようだね」と始まるのが笑わせてくれました。

これは、郵便車の中です。

次の2枚は、先頭の運転席です。思ったより窮屈そうだったのが、意外でした。

 

 

Chicago Museum of Science and Industry訪問 (1)

dda40xさんが、シカゴでのO-Scale Meetに参加されるということで、同行させていただきました。今回は堀江ご夫妻もご一緒で、大変楽しい、記憶に残る旅となりました。すでにdda40xさんのBlogで詳細な記事が掲載されていますが、私なりの視点で訪問した場所をご紹介したいと思います。

さて、シカゴ到着後、まず向かったのは、Chicago Museum of Science and Industry(以下CMSI)です。名前が示す通り、「科学と産業」に関する幅広い分野に関する展示を行っている博物館で、あちらこちらに実習室があったりして、子供向けの教育プログラムも充実しているのだと思われます。鉄道関係の展示ばかりではなく、ライト兄弟の飛行機のレプリカUボートなど、エポックメーキングな物が数多く展示されていて、シカゴに行った際には、訪問することをおすすめします。

まず、建物に入って最初に出迎えてくれるのは、Pioneer Zephyr号です。私が紹介するよりも詳しい方が数多くいらっしゃると思いますが、Wikipediaの記述をかいつまんで要約すると、Pioneer Zephyrは、CB&Q(Chicago Burlington and Quincy)が1934年に導入した、旅客用ディーゼル列車です。その性能を実証するために、1934年5月26日に、コロラド州デンバーから、シカゴまでの1015マイル(=1633km)を、ノンストップで13時間5分、つまり平均速度77mph(124km/h)で走破し、ある一区間では112.5mph(181km/h)を記録しました。1934年11月11日に定期運用に入り、1960年まで運行し、その後CMSIに寄贈されたものです。

1934年といえば、蒸気機関車もまだ発展途上にある時期で、1930年にTimken社が自社のベアリング製品をアピールするために、4-8-4であるFour Aces (その後NPが購入しA-1として運用)を建造してまもないころですので、ようやくローラーベアリングの効能が理解され始めた頃ではないかと想像します。1934年に建造された4-8-4としては、ノーザンパシフィックのA2があり(この後A3:1938年、A4:1941年、A5:1943年と続く)、その他有名どころの4-8-4で言えば、サザンパシフィックのデイライト牽引専用機として用意されたGS-2はこの後1936年まで(その後、GS3が1937年、GS4/5が1941年)、UPのFEF-1も1937年になるまで(その後、FEF2が1939年、FEF3が1944年)、待たなければなりませんので、この時点でディーゼル機関による高速列車を実現する、ということがとんでもなく先進的なチャレンジだった、ということが言えるかと思います。

技術的にも、必要な性能を満たすディーゼル機関の開発とか、ステンレスを用いた車体を作るためのShotweldingという溶接方式を製造に携わったバッド社が開発したりとか、歴史的意義のあるものが多く、アメリカ機会工学会(ASME: American Society of Mechanical Engineers)は、1980年に、”National Historic Mechanical Engineering Landmark”なる賞をPioneer Zephyrに授与しています。

この授賞を説明する文書がASMEのサイトに掲載されています。これを読むと、当時のCB&Qの社長であった、Ralph Budd氏(注:上記のバッド社とは無関係)は、当時の旅客実績の低下が、1929年の大恐慌の余波ではなく、そもそも人々の移動手段が車へシフトしているのが原因である、ということを見抜き、鉄道の復権を賭けて、新技術の適用、時代を感じさせるデザイン、圧倒的な性能、など、人々に訴えかける新しい列車の可能性を提案したのだ、ということを感じました。「Pioneer Zephyr」と呼ばれる、その名の通り、「新時代を切り拓いたパイオニア」と呼ぶにふさわしく、永く人々の記憶に列車であるということは間違いないでしょう。

少し長くなったので、続きは次回に。

O-Scale West 2009参加録-目次

O-Scale West 2009参加記録、前回が最終回となりました。週末に少しずつ書くのが精一杯だったため、こんなに時間がかかってしまいました。気がつくと記事の数が20にもなってしまいましたので、記事一覧の目次を下記に用意しておきます。

Cajon Passにて
Pomonaへ
Fresnoへ
Lou Crossさんのレイアウトを訪問
Modestoへ
Stocktonへ
Santa Cruzにて
O-Scale West 2009 (1)
O-Scale West 2009 (2)
O-Scale West 2009 (3)
O-Scale West 2009 (4)
Bob Brown氏のレイアウト (1)
Bob Brown氏のレイアウト (2)
Ed Loizeaux氏のレイアウト (1)
Ed Loizeaux氏のレイアウト (2)
Bob Plageman氏とRod Miller氏のレイアウト
Alf Modine氏のレイアウト
Gary Schrader氏のレイアウト (1)
Gary Schrader氏のレイアウト (2)
Gary Schrader氏のレイアウト (3)

Gary Schrader氏のレイアウト (3)

Gary Schrader氏のレイアウトの紹介の最終回です。

まずは、前回紹介したSPのOwl風の列車とすれ違うSanta FeのSuper Chiefとがすれ違う場面です。

最後は、やっぱりこれでしょう。GS-4の重連が引くDaylightです。氏のレイアウトには、何本かの列車が置かれており、訪問者のリクエストに応じて、運転する列車を切り替えているのですが、このDaylightは、当然(?)私のリクエストで動かしてもらったものです。

Gary Schrader氏のレイアウト (2)

Gary Schrader氏のレイアウトの紹介の2回目です。とはいっても、もはや文章で書くことはなく、4本撮ってきた短いビデオクリップを2回に分けて紹介したいと思います。

まずはAC-12が牽引するPFE(Pacific Fruit Express)。機関車は、ナンバーボードにも照明が入れられるなど、細かいところまで手がかかっています。貨車も含めて、塗装、ウェザリングが丁寧に施されています。ただ、レイアウトの制約を考えても、貨車が20両程度というのは物足りない気もしますね。

続いて、GS-3が牽引する、Owl風のヘビーウェイト客車の旅客列車です。Owlは、オークランドとロサンゼルスをSan Joaquinルートを経由して結んでいた夜行列車です。昼行列車ではSPの看板列車である(Coast) Daylightを補完するためにSan Joaquinルート経由でSan Joaquin Daylightが運行されていたと同様に、夜行列車ではLarkを補完していたのが、Owlです。ただ、「当時のOwlの編成を完全に再現しているわけではないので」、あくまで「Owl風」なのだそうです。

黒塗りのGS-3と濃緑のヘビーウェイト客車の組み合わせは、一見地味であり、あまり目だたないなぁと思っていたのですが、良く見るとこれはこれで大変手のかかった模型であり、SPの旅客列車の黄金時代を再現しているようにも思え、見ているうちにどんどん引き込まれてしまいました。